B級映画って言うなw
再見して語る映画館
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前作「悪魔のサンタクロース/惨殺の斧」から3年、2作目が制作されたのは、そろそろスラッシャー映画も観客に飽きられ始め、スポンサーも配給も付きにくい頃。
ギリギリで黄金期の最後辺りに滑り込んだ感じの本作は、どうにも微妙な完成度で登場したのでした。
物語は・・・
12月24日・・・精神病院の一室で、記録用レコーダーを前に座る男。精神科医のヘンリー・ブルームは、黒人の介護師を下がらせると、危険な男リッキーを相手に質問を始める・・・。
「君の両親を誰が殺した?」
「サンタクロース」
ここから前作の回想(フィルムも使いまわし)と医師との会話が、延々と40分近くダイジェストで観せられる。
嘘のような話だが、本当にそうなのだから仕方ない。いい加減、どうにかしてくれ、と思っていると、ようやく本人の話に入る。
リッキーは赤い色とレイプに異常な反応を示し、「罰だ!」という言葉と共にスイッチが入り、殺人を繰り返す。
兄のビリーが好青年でありながら、狂気に支配されたのとは少し違い、より殺人への衝動や行動が激しい男になっていた。
赤い車、赤いハンカチーフ、赤い傘、赤いシャツ・・・恋人もいたのだが、バイオレンス映画にも影響され(恋人と観ている映画まで前作のシーンの使い回しである)、血と暴力を好む殺人鬼に成長していた。サイコ顔というか、表情に狂気があり、また兄のようにハンサムでもない。
ついにリッキーは、彼女にちょっかいを出した赤い車の男を、彼女の目の前でバッテリーを使い殺す。咎める彼女も車のアンテナで絞殺し、ちょうど居合わせた警官を射殺。その銃を使い、散歩するように笑いながら、目についた人間を次々と射殺していく。(まるでハワード・アンルー事件のようだ)
少女は謝ったので許したが、赤い車は許さない。爆発炎上させて立ち去る姿は、もはやターミネーターである。
殺るだけ殺ったので、自殺しようとするが、神様の糞野郎のイタズラか、ここで弾切れ。お縄について、精神病院行きとなったのである。
と、いう話を終えて、亡き彼女の写真でタバコを揉み消したリッキーは、もう動かないヘンリー医師に別れを告げて、あの女の元へと向かうのであった・・・。
リッキーが脱走してから6時間後・・・いくらなんでも気づくのが遅すぎだろ、と思うが、ボランティアのサンタを襲い衣装を奪ったリッキーは、鼻歌まじりに電話を掛ける。
「メリークリスマス!santa's back!!」
電話の相手は、もちろん憎むべき元女院長。今では顔に酷い腫れ物が出来、車イス暮らしの老婆になっていた。途中でオモチャのサンタを斧で壊し、シャレのつもりか「666」のドアを粉砕して乱入。寄り道なしの一直線である。年は喰っても喰えないクソババア、車イスで器用に反撃し、逃走もするが、リッキーはパワフルに斧を振り回し突き進んでくる。
キッチンで包丁を手に入れ反撃を狙うわ、説教を始めるわ、と、さすがにふてぶてしい。
駆けつけた警察とシスター・メアリーの目の前で、院長の首が落ち、更にその背後から斧を振りかぶったリッキーが迫る・・・。だが、刑事の銃弾を数発受け、ついにリッキーは窓の外へ転がり落ちる。
「奴は、死んだ」と言う刑事。だが、メアリーが院長の生首を見て悲鳴を上げたとき、リッキーの目も見開かれたのだった・・・・・・ END
前作との関連は、今回の主役が弟なので当然のようにあるのだが、それにしても長い。もう、反則なぐらいにフィルムを使いまわし、ほぼ半分は1のダイジェストである。
前作にあったビリーへの僅かな同情は、このリッキーには微塵も感じないし、最初から完成されたサイコ・キラーとしての存在感は化け物じみている。そう、この男には怒り以外の感情が欠如していて、そのせいで彼女を殺す事になるのだが、反省の色は全く無い。
思うに兄との差別性を出そうとして、ここまで思いきったサイコに設定したのだろう。
見せ場としては、後半の追い上げが頑張っているが、如何せん実に安い映画作りをしすぎている感じは拭えず、作品としては低い評価しか出せない。
前作と類似したシーンで無垢な少女との遭遇シーンもあるのだが、どうせなら徹底的に異常者ぶりを発揮しても良かったかもしれない(子供が殺されるのは観たくないけどね)
殺人の方法も前作が割りと凝っていたのに対して、実にシンプルで、せいぜい車が爆発するぐらい。リアリティを出したいなら、途中のコミカルなゴアシーンは必要無いし、結局何がしたかったのか良く判らない。
わずかに溜飲を下げたのは、やっとクソババアが死んだことぐらいだ。
続けて観たが、よく考えたら2だけで良かったかもしれないな、と私も手抜きを考えてしまったw
*ハワード・アンルー事件(HOWARD UNRUH)・・・理由無き殺戮者の先駆けで、1949年に拳銃で女子供も含む13人を僅か12分(13分という説もあるが、縁起の悪い数字で合わせた可能性あり)で殺害し、散歩する殺人者という異名を付けられた。自殺もせず、死刑にもならず、精神病院で長寿を真っ当したというから驚きだ。
*アメリカのサイコキラー(大量殺戮者)の歴史は、10年単位で発生するという俗説がある。銃社会がもたらした1人で多数を圧倒するという図式は、戦争による武器の発達が原因とはいえ、何の関わりも理由も動機すら曖昧なまま殺される側にしてみれば、たまったものじゃない。
ギリギリで黄金期の最後辺りに滑り込んだ感じの本作は、どうにも微妙な完成度で登場したのでした。
物語は・・・
12月24日・・・精神病院の一室で、記録用レコーダーを前に座る男。精神科医のヘンリー・ブルームは、黒人の介護師を下がらせると、危険な男リッキーを相手に質問を始める・・・。
「君の両親を誰が殺した?」
「サンタクロース」
ここから前作の回想(フィルムも使いまわし)と医師との会話が、延々と40分近くダイジェストで観せられる。
嘘のような話だが、本当にそうなのだから仕方ない。いい加減、どうにかしてくれ、と思っていると、ようやく本人の話に入る。
リッキーは赤い色とレイプに異常な反応を示し、「罰だ!」という言葉と共にスイッチが入り、殺人を繰り返す。
兄のビリーが好青年でありながら、狂気に支配されたのとは少し違い、より殺人への衝動や行動が激しい男になっていた。
赤い車、赤いハンカチーフ、赤い傘、赤いシャツ・・・恋人もいたのだが、バイオレンス映画にも影響され(恋人と観ている映画まで前作のシーンの使い回しである)、血と暴力を好む殺人鬼に成長していた。サイコ顔というか、表情に狂気があり、また兄のようにハンサムでもない。
ついにリッキーは、彼女にちょっかいを出した赤い車の男を、彼女の目の前でバッテリーを使い殺す。咎める彼女も車のアンテナで絞殺し、ちょうど居合わせた警官を射殺。その銃を使い、散歩するように笑いながら、目についた人間を次々と射殺していく。(まるでハワード・アンルー事件のようだ)
少女は謝ったので許したが、赤い車は許さない。爆発炎上させて立ち去る姿は、もはやターミネーターである。
殺るだけ殺ったので、自殺しようとするが、神様の糞野郎のイタズラか、ここで弾切れ。お縄について、精神病院行きとなったのである。
と、いう話を終えて、亡き彼女の写真でタバコを揉み消したリッキーは、もう動かないヘンリー医師に別れを告げて、あの女の元へと向かうのであった・・・。
リッキーが脱走してから6時間後・・・いくらなんでも気づくのが遅すぎだろ、と思うが、ボランティアのサンタを襲い衣装を奪ったリッキーは、鼻歌まじりに電話を掛ける。
「メリークリスマス!santa's back!!」
電話の相手は、もちろん憎むべき元女院長。今では顔に酷い腫れ物が出来、車イス暮らしの老婆になっていた。途中でオモチャのサンタを斧で壊し、シャレのつもりか「666」のドアを粉砕して乱入。寄り道なしの一直線である。年は喰っても喰えないクソババア、車イスで器用に反撃し、逃走もするが、リッキーはパワフルに斧を振り回し突き進んでくる。
キッチンで包丁を手に入れ反撃を狙うわ、説教を始めるわ、と、さすがにふてぶてしい。
駆けつけた警察とシスター・メアリーの目の前で、院長の首が落ち、更にその背後から斧を振りかぶったリッキーが迫る・・・。だが、刑事の銃弾を数発受け、ついにリッキーは窓の外へ転がり落ちる。
「奴は、死んだ」と言う刑事。だが、メアリーが院長の生首を見て悲鳴を上げたとき、リッキーの目も見開かれたのだった・・・・・・ END
前作との関連は、今回の主役が弟なので当然のようにあるのだが、それにしても長い。もう、反則なぐらいにフィルムを使いまわし、ほぼ半分は1のダイジェストである。
前作にあったビリーへの僅かな同情は、このリッキーには微塵も感じないし、最初から完成されたサイコ・キラーとしての存在感は化け物じみている。そう、この男には怒り以外の感情が欠如していて、そのせいで彼女を殺す事になるのだが、反省の色は全く無い。
思うに兄との差別性を出そうとして、ここまで思いきったサイコに設定したのだろう。
見せ場としては、後半の追い上げが頑張っているが、如何せん実に安い映画作りをしすぎている感じは拭えず、作品としては低い評価しか出せない。
前作と類似したシーンで無垢な少女との遭遇シーンもあるのだが、どうせなら徹底的に異常者ぶりを発揮しても良かったかもしれない(子供が殺されるのは観たくないけどね)
殺人の方法も前作が割りと凝っていたのに対して、実にシンプルで、せいぜい車が爆発するぐらい。リアリティを出したいなら、途中のコミカルなゴアシーンは必要無いし、結局何がしたかったのか良く判らない。
わずかに溜飲を下げたのは、やっとクソババアが死んだことぐらいだ。
続けて観たが、よく考えたら2だけで良かったかもしれないな、と私も手抜きを考えてしまったw
*ハワード・アンルー事件(HOWARD UNRUH)・・・理由無き殺戮者の先駆けで、1949年に拳銃で女子供も含む13人を僅か12分(13分という説もあるが、縁起の悪い数字で合わせた可能性あり)で殺害し、散歩する殺人者という異名を付けられた。自殺もせず、死刑にもならず、精神病院で長寿を真っ当したというから驚きだ。
*アメリカのサイコキラー(大量殺戮者)の歴史は、10年単位で発生するという俗説がある。銃社会がもたらした1人で多数を圧倒するという図式は、戦争による武器の発達が原因とはいえ、何の関わりも理由も動機すら曖昧なまま殺される側にしてみれば、たまったものじゃない。
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