B級映画って言うなw
再見して語る映画館
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オラフの第一作目にして、世界にドイツは危ない、と思わせた作品。
ユルグ・ブットゲライトも大概なわけですが、先発した「ネクロマンティック」のインパクトとセールのお陰で、オラフにも陽の目が当ったと思えば、感謝すべきでしょうな。
物語は・・・
ヤク中で無職(チンピラを絵に描いたような面接シーンあり)で不良のどうしようもない兄貴が、ヤクをキメた後で可愛い妹に寝物語をしてあげるという前後編になってます。
「ジュリアの恋」、恋を夢見るジュリアが出会ったのは、二枚目で話し上手な精神病院を脱走した連続猟奇殺人犯。いい雰囲気で車に乗ったジュリア、が何気なくラジオを点けると流れてきたのはこいつのニュース。慌てて逃げ出したものの身分証明書入りの財布を忘れたから、さぁ大変。とりあえず売春婦を瞬殺し、信号待ちで切り落とした生首を後ろの車に投げつけて、一路ジュリアの家に向かいます。先に帰宅したジュリアはTVで改めてあの男のニュースを観ますが、その頃には男の魔手は母親に向けられ・・・。
さっさと通報しろよ、と思いますが、財布の心配をしている内に、父親も惨殺され、姉妹もメッタ刺し、ようやく通報をしに一階へ下りると、父親の生首がお出迎え。母親の生首を下げた殺人鬼に再会し、生首を投げつけられて逃げ込んだバスルームでは姉妹が人間タイマツ状態でメラメラ。帰宅した兄は一閃で首を切り落とされ、もうグロッキーなジュリアに殺人鬼が交際を申し込み、ゴアな過去を聞かされ、結婚の夢を語り出す始末。おまけに目玉は飲み込まされるわで、ついに反撃に出たジュリアを追って、ポーチで凶刃を振り下ろそうとした瞬間、駆けつけた男が殺人鬼の頭部を銃で吹き飛ばして一件落着。マテ
どんな銃弾を装填してるんだ、ドイツ警察。この刑事、信号待ちで生首投げられたおっさんでしたとさ。
「純潔」連続婦女暴行殺人事件、犯人の神父は平然と自分が犯し殺した少女の葬儀を行ってやがります。村の気弱な青年ユストスは自分が疑われていることを神父に相談しますが、やたらとグロい表現で励ましを頂きます。神父の凶行は続き、旦那を無駄に蜂の巣にして、妻を悪魔崇拝のいけにえに捧げ、血をグラスで飲み干すなど、やりたい放題。村の若者はユストスを犯人と決め付けてリンチをしますが、それを助けたのが、また神父。この神父、子供の頃に地獄から来た黒衣の男に魔術書を貰った描写が夢のシーンであり、その後で唐突に自殺。庇う者(こいつが元凶なんだけど)がいなくなったユストスは、哀れ濡れ衣のままフランクに惨殺されます。ところが、謎の声に囁かれてユストス復活、フランクの家に”666”の獣の数字を血文字で刻み、十字架が壁から落ちると、フランクはどっかの納屋みたいな(もう少し何とかしろよ、セット)場所で、亡者に拷問の限りを尽くされて(フランク以外もエライ目に遭ってますが)ゴアゴアゴアの地獄絵図(地獄で言う修羅界みたいな)の末に息絶えるのでした・・・。
話を終えた腐れ兄貴が、妹の瞼を閉じてやると、幼女の腹にはナイフが・・・。カス兄貴も涙ながらに自分の手首を切り自殺、最後は妹の写真にゆっくりクローズアップしてEND。
はい、クソ映画でした。
「新ゾンビ」でも書きましたが、オラフは物語に興味が無い。どう人体を破壊してやろうかなグヘヘという人ですから、その点ではデビューから飛ばしてるなぁ、といった作品。
彼が制作した映画に一貫して感じるのは、オラフは反キリストであり、よく分らない邪神物語を作品に無理やり差し込んで、虐殺やゾンビの登場を正当化する手段に用いることです。
その点、ギリギリで映画の体裁を保っているのは、鬼畜ドイツ監督の中でも彼だけでしょう。
ユルグ・ブットゲライトも大概なわけですが、先発した「ネクロマンティック」のインパクトとセールのお陰で、オラフにも陽の目が当ったと思えば、感謝すべきでしょうな。
物語は・・・
ヤク中で無職(チンピラを絵に描いたような面接シーンあり)で不良のどうしようもない兄貴が、ヤクをキメた後で可愛い妹に寝物語をしてあげるという前後編になってます。
「ジュリアの恋」、恋を夢見るジュリアが出会ったのは、二枚目で話し上手な精神病院を脱走した連続猟奇殺人犯。いい雰囲気で車に乗ったジュリア、が何気なくラジオを点けると流れてきたのはこいつのニュース。慌てて逃げ出したものの身分証明書入りの財布を忘れたから、さぁ大変。とりあえず売春婦を瞬殺し、信号待ちで切り落とした生首を後ろの車に投げつけて、一路ジュリアの家に向かいます。先に帰宅したジュリアはTVで改めてあの男のニュースを観ますが、その頃には男の魔手は母親に向けられ・・・。
さっさと通報しろよ、と思いますが、財布の心配をしている内に、父親も惨殺され、姉妹もメッタ刺し、ようやく通報をしに一階へ下りると、父親の生首がお出迎え。母親の生首を下げた殺人鬼に再会し、生首を投げつけられて逃げ込んだバスルームでは姉妹が人間タイマツ状態でメラメラ。帰宅した兄は一閃で首を切り落とされ、もうグロッキーなジュリアに殺人鬼が交際を申し込み、ゴアな過去を聞かされ、結婚の夢を語り出す始末。おまけに目玉は飲み込まされるわで、ついに反撃に出たジュリアを追って、ポーチで凶刃を振り下ろそうとした瞬間、駆けつけた男が殺人鬼の頭部を銃で吹き飛ばして一件落着。マテ
どんな銃弾を装填してるんだ、ドイツ警察。この刑事、信号待ちで生首投げられたおっさんでしたとさ。
「純潔」連続婦女暴行殺人事件、犯人の神父は平然と自分が犯し殺した少女の葬儀を行ってやがります。村の気弱な青年ユストスは自分が疑われていることを神父に相談しますが、やたらとグロい表現で励ましを頂きます。神父の凶行は続き、旦那を無駄に蜂の巣にして、妻を悪魔崇拝のいけにえに捧げ、血をグラスで飲み干すなど、やりたい放題。村の若者はユストスを犯人と決め付けてリンチをしますが、それを助けたのが、また神父。この神父、子供の頃に地獄から来た黒衣の男に魔術書を貰った描写が夢のシーンであり、その後で唐突に自殺。庇う者(こいつが元凶なんだけど)がいなくなったユストスは、哀れ濡れ衣のままフランクに惨殺されます。ところが、謎の声に囁かれてユストス復活、フランクの家に”666”の獣の数字を血文字で刻み、十字架が壁から落ちると、フランクはどっかの納屋みたいな(もう少し何とかしろよ、セット)場所で、亡者に拷問の限りを尽くされて(フランク以外もエライ目に遭ってますが)ゴアゴアゴアの地獄絵図(地獄で言う修羅界みたいな)の末に息絶えるのでした・・・。
話を終えた腐れ兄貴が、妹の瞼を閉じてやると、幼女の腹にはナイフが・・・。カス兄貴も涙ながらに自分の手首を切り自殺、最後は妹の写真にゆっくりクローズアップしてEND。
はい、クソ映画でした。
「新ゾンビ」でも書きましたが、オラフは物語に興味が無い。どう人体を破壊してやろうかなグヘヘという人ですから、その点ではデビューから飛ばしてるなぁ、といった作品。
彼が制作した映画に一貫して感じるのは、オラフは反キリストであり、よく分らない邪神物語を作品に無理やり差し込んで、虐殺やゾンビの登場を正当化する手段に用いることです。
その点、ギリギリで映画の体裁を保っているのは、鬼畜ドイツ監督の中でも彼だけでしょう。
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