B級映画って言うなw
再見して語る映画館
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2009年英・加合同製作のTVM(テレビドラマ)で、前後編として放送された。
本作は、ジョン・ウィンダム原作「トリフィド時代」の2度目の映像化となる。
私が少年の頃に読んだ創元SF文庫では「トリフィド時代」であったが、その後の多くのタイトル表記は『トリフィドの日』となっていて、こちらの方が知名度は上と思われる。
1960年製作版「人類SOS!」は、長らくDVD発売されていなかったが、2006年に「デイ・オブ・ザ・トリフィド」というサブタイトルで私の書庫に納まった。
有名な古典SFでありながら、今ひとつ陽の目を見なかったのは、余りにも稚拙な1960年版のせいな気がしなくもないが、これはこれで想像力を発揮すれば原作同様の恐怖は味わえる。
私は、昔からトリフィドが好きで、現代版にするのなら、全人口のほとんどが盲目になる点と移動肉食植物を映像で怖く表現できるか、の2点が難しいだろうな、と思っていた。
原作では流星雨だったが、本作では太陽フレアによる天体規模の太陽風による失明とし、トリフィド自体の移動速度より知能や触手が脅威になる等、かなりリアリティを持たせている。
物語は・・・
30年前に母親をトリフィドに殺された主人公ビル・メイスンは、その遺志を継ぎ研究プラントで働いていた。
肉食植物トリフィドからは油が摂れるため、遺伝子操作や世代交配を繰り返すことで、人類に温暖化の解消と燃料を提供していた。
そこに狂信的な自然愛護団体の侵入テロがあり、ビルはそのためにトリフィドの触手に目をやられ、失明の危機を病院で迎えていた・・・。
そして、運命の日12:03・・・史上最大の太陽風による天体ショーを見ていた世界中の人々が、予想外の閃光を目撃したため失明してしまう。
飛行機を初め、全ての交通機関は壊滅し、突然の失明に混乱した人々が徘徊する世界へと変貌した。
様々な理由で失明を免れた人間も、盲目の世界で戸惑う人々に囲まれたり、これ幸いと悪事を働く者などで、社会は混乱を極めていた。
手術後のビルは光害を免れ、視力も取り戻したが、その喜びも束の間、病院の惨状に訳が分からないまま、街にさ迷い出る。
そこでパニックに陥った警官から、女性ニュースキャスターのジョー・プレイトンを救い、ホワイトホール(政府官庁)を目指すのだった・・・。
その頃、拘束されていた自然愛護テロリストが抜け出し、トリフィドの管理システムのエマージェンシーを切り、「もう、自由だぞ」と、ロックを解除していた・・・。
一夜明けた世界は、助けを求める市民と保安区域を守る警官隊が押し合い、どちらも盲目のため不安感が暴発し、銃弾が飛び交う事態になってしまった。
絶望して自殺する者も出る中、ビルとジョーは、トリフィドの管理施設に車で向かうのであった・・・。
無数の死体が転がり、廃墟同然になった施設内で、ビルは施設を開放したバカの死体と同僚の遺体を発見する。
研究室でトリフィド同士の交信データを入手したビルは、ひとまずジョーの父親がいるというウインザーに向かう。
その道中で、トリフィドの管理施設が世界中にあり、約1000万体のトリフィドが存在する事を聞き、呆然とするジョー・・・。
実家に着いたジョーは、そこで父親がトリフィドに殺されるのを見る。
森の中にも、無数の影を見つけたビルは、再び車でジョーと移動する。
だが、ハイウェイの上から見た風景は、無数のトリフィドが蠢めくだけで、動く人間の姿は、すでに無かった・・・。
「人類の時代は、トリフィドに奪われたのだ」
放送施設に移動した二人は、ラジオ電波でトリフィドの脅威について警告を発する。
体調4m、毒針を持ち、肉食で動き回り、カタカタという音を出す植物・・・、見える者は失明者を守って欲しい、それが精一杯の放送だった。
その後で、ビルは自分の両親がザイールでトリフィドの研究をし、父親は安価で枯渇しないエネルギーとしてトリフィドを研究改良したこと、反対して残った母親がトリフィドの毒で死んだことをジョーに語った。、
内務省のミシェル・ビードリー女史と合流したビルとジョーは、トリフィドの脅威を説明するが、軍と共に治安の復旧を優先する、と相手にしてもらえない。
ミシェルは有視者と能力のある者だけを纏め、市民の救済を切り捨てる方針だった・・・。
一方、市民救済を叫ぶコーカー少佐は、軍に追い払われ、大量の失明者を守るために奮闘していた。そこに、この混乱を利用しようとするトレンスが首相秘書ヒルダを連れて合流する。
ビルはジョーを安全な施設に残し、一人でシャーニングの父親を探して、トリフィドの研究と対策を立てるために出発しようとする。
だが、そこにトレンスを加えたコーカー少佐の部隊が急襲し、全員捕われの身となる。
コーカー少佐は、見える者と失明者を手錠で組ませ、組織化することで生き延びる方針だったが、やはりトリフィドに関しては問題にしていなかった。
食料集めが行われる中、大型倉庫に着いた一行は、ついにトリフィドと遭遇する。
ジョーの危機を救ったビルだったが、ヒルダを含めた犠牲者が出る事態に、盲目者を切り捨てて逃げたオズマンの行動が軋轢を生む・・・。
組織内で着々と頭角を現すトレンスは、ジョーに緊急放送を行わせる。
しかし、その放送は自由意志では無く強制的にトリフィドと戦えという名目を与え、オズマンを配下にしたトレンスによる独裁に利用されてしまう。
更にトレンスからビルは死んだ、と聞かされたジョーはショックで泣き崩れる。
ビルとコーカーは排除され、山奥に捨てられるはずだったが、そこはトリフィドの大群が蠢く場所だった。
部下は全滅し、ライアットガンでコーカーを救ったビルだったが、背後には銃を構えたオズマン、周囲は成体と化したトリフィドの群れが迫っていた・・・・・・to be continued
と、いうわけで生まれ変わった『トリフィドの日』。
予算的には、TVMとしては破格の制作費を頂いたわけですが、そこは本場イギリスの名作SFが原作なだけに恥ずかしい物は撮れないと言う気持ちでしょうか。
映像は現代風のCGを多用し、序盤の世紀末的な場面、トリフィドの造形や触手等を表現。
ただ、CGと実態の光源の向きや照度まで手を入れていないので、頑張ってるけど安い印象を受けます。
つまり暗いシーンで無ければ、トリフィドが浮き上がってしまい怖くないというわけです。
ただ、TVMとしては、まずまずの出来である、とフォローしておきます。
展開は、ほぼ原作を準拠しており、多少のバタバタ感はあるものの、スピーディーに話が進みます。
そのため、役者の演技で展開をフォローするわけですが、トレンス役のエディ・イザードがコメディアンの話術を巧みに演技に活かし、悪としてのし上がって行く男を見事に演じています。
吹き替え版があるとして誰が声を当てるのか知りませんが、観るなら字幕ですよ、勿体無いから。
恐らくは、一番難しい役にコメディアンを起用した監督は慧眼だな、と感じました。
1960年版を引き合いに出すまでもなく、歩いてくる食肉植物を真面目に絵として表現するのは、現在の技術でも無理なんじゃないかな、と思うわけです。普通は、笑うとこですよ、どう考えてもね。
それを活かすために、人類の大半は盲目となり、忍び寄る見えない恐怖として存在した場合、数で圧倒されていく点も含めて、人類SOS!になるわけです。
もう一つは、少数の有視者と大多数の盲者の比率、そしてそれを巡る人道主義と独裁主義の理想と現実。
ミシェルは少数の優れた者だけの再建、コーカー少佐は人道主義に基づいた救済組織、トレンスは独裁による支配、と様々な形を見せてくれます。
目が見えていても盲目的にしか生きない国民への皮肉すら感じますね。
原作が書かれたのは冷戦まっただ中の社会情勢ですが、今も大して変わってませんよ、人間は・・・。
さて、後半はトレンス独裁と圧倒的な数で迫るトリフィド、どう転んでも絶望的な状況に人類は人としての尊厳を守りつつ生き残れるのか!
本作は、ジョン・ウィンダム原作「トリフィド時代」の2度目の映像化となる。
私が少年の頃に読んだ創元SF文庫では「トリフィド時代」であったが、その後の多くのタイトル表記は『トリフィドの日』となっていて、こちらの方が知名度は上と思われる。
1960年製作版「人類SOS!」は、長らくDVD発売されていなかったが、2006年に「デイ・オブ・ザ・トリフィド」というサブタイトルで私の書庫に納まった。
有名な古典SFでありながら、今ひとつ陽の目を見なかったのは、余りにも稚拙な1960年版のせいな気がしなくもないが、これはこれで想像力を発揮すれば原作同様の恐怖は味わえる。
私は、昔からトリフィドが好きで、現代版にするのなら、全人口のほとんどが盲目になる点と移動肉食植物を映像で怖く表現できるか、の2点が難しいだろうな、と思っていた。
原作では流星雨だったが、本作では太陽フレアによる天体規模の太陽風による失明とし、トリフィド自体の移動速度より知能や触手が脅威になる等、かなりリアリティを持たせている。
物語は・・・
30年前に母親をトリフィドに殺された主人公ビル・メイスンは、その遺志を継ぎ研究プラントで働いていた。
肉食植物トリフィドからは油が摂れるため、遺伝子操作や世代交配を繰り返すことで、人類に温暖化の解消と燃料を提供していた。
そこに狂信的な自然愛護団体の侵入テロがあり、ビルはそのためにトリフィドの触手に目をやられ、失明の危機を病院で迎えていた・・・。
そして、運命の日12:03・・・史上最大の太陽風による天体ショーを見ていた世界中の人々が、予想外の閃光を目撃したため失明してしまう。
飛行機を初め、全ての交通機関は壊滅し、突然の失明に混乱した人々が徘徊する世界へと変貌した。
様々な理由で失明を免れた人間も、盲目の世界で戸惑う人々に囲まれたり、これ幸いと悪事を働く者などで、社会は混乱を極めていた。
手術後のビルは光害を免れ、視力も取り戻したが、その喜びも束の間、病院の惨状に訳が分からないまま、街にさ迷い出る。
そこでパニックに陥った警官から、女性ニュースキャスターのジョー・プレイトンを救い、ホワイトホール(政府官庁)を目指すのだった・・・。
その頃、拘束されていた自然愛護テロリストが抜け出し、トリフィドの管理システムのエマージェンシーを切り、「もう、自由だぞ」と、ロックを解除していた・・・。
一夜明けた世界は、助けを求める市民と保安区域を守る警官隊が押し合い、どちらも盲目のため不安感が暴発し、銃弾が飛び交う事態になってしまった。
絶望して自殺する者も出る中、ビルとジョーは、トリフィドの管理施設に車で向かうのであった・・・。
無数の死体が転がり、廃墟同然になった施設内で、ビルは施設を開放したバカの死体と同僚の遺体を発見する。
研究室でトリフィド同士の交信データを入手したビルは、ひとまずジョーの父親がいるというウインザーに向かう。
その道中で、トリフィドの管理施設が世界中にあり、約1000万体のトリフィドが存在する事を聞き、呆然とするジョー・・・。
実家に着いたジョーは、そこで父親がトリフィドに殺されるのを見る。
森の中にも、無数の影を見つけたビルは、再び車でジョーと移動する。
だが、ハイウェイの上から見た風景は、無数のトリフィドが蠢めくだけで、動く人間の姿は、すでに無かった・・・。
「人類の時代は、トリフィドに奪われたのだ」
放送施設に移動した二人は、ラジオ電波でトリフィドの脅威について警告を発する。
体調4m、毒針を持ち、肉食で動き回り、カタカタという音を出す植物・・・、見える者は失明者を守って欲しい、それが精一杯の放送だった。
その後で、ビルは自分の両親がザイールでトリフィドの研究をし、父親は安価で枯渇しないエネルギーとしてトリフィドを研究改良したこと、反対して残った母親がトリフィドの毒で死んだことをジョーに語った。、
内務省のミシェル・ビードリー女史と合流したビルとジョーは、トリフィドの脅威を説明するが、軍と共に治安の復旧を優先する、と相手にしてもらえない。
ミシェルは有視者と能力のある者だけを纏め、市民の救済を切り捨てる方針だった・・・。
一方、市民救済を叫ぶコーカー少佐は、軍に追い払われ、大量の失明者を守るために奮闘していた。そこに、この混乱を利用しようとするトレンスが首相秘書ヒルダを連れて合流する。
ビルはジョーを安全な施設に残し、一人でシャーニングの父親を探して、トリフィドの研究と対策を立てるために出発しようとする。
だが、そこにトレンスを加えたコーカー少佐の部隊が急襲し、全員捕われの身となる。
コーカー少佐は、見える者と失明者を手錠で組ませ、組織化することで生き延びる方針だったが、やはりトリフィドに関しては問題にしていなかった。
食料集めが行われる中、大型倉庫に着いた一行は、ついにトリフィドと遭遇する。
ジョーの危機を救ったビルだったが、ヒルダを含めた犠牲者が出る事態に、盲目者を切り捨てて逃げたオズマンの行動が軋轢を生む・・・。
組織内で着々と頭角を現すトレンスは、ジョーに緊急放送を行わせる。
しかし、その放送は自由意志では無く強制的にトリフィドと戦えという名目を与え、オズマンを配下にしたトレンスによる独裁に利用されてしまう。
更にトレンスからビルは死んだ、と聞かされたジョーはショックで泣き崩れる。
ビルとコーカーは排除され、山奥に捨てられるはずだったが、そこはトリフィドの大群が蠢く場所だった。
部下は全滅し、ライアットガンでコーカーを救ったビルだったが、背後には銃を構えたオズマン、周囲は成体と化したトリフィドの群れが迫っていた・・・・・・to be continued
と、いうわけで生まれ変わった『トリフィドの日』。
予算的には、TVMとしては破格の制作費を頂いたわけですが、そこは本場イギリスの名作SFが原作なだけに恥ずかしい物は撮れないと言う気持ちでしょうか。
映像は現代風のCGを多用し、序盤の世紀末的な場面、トリフィドの造形や触手等を表現。
ただ、CGと実態の光源の向きや照度まで手を入れていないので、頑張ってるけど安い印象を受けます。
つまり暗いシーンで無ければ、トリフィドが浮き上がってしまい怖くないというわけです。
ただ、TVMとしては、まずまずの出来である、とフォローしておきます。
展開は、ほぼ原作を準拠しており、多少のバタバタ感はあるものの、スピーディーに話が進みます。
そのため、役者の演技で展開をフォローするわけですが、トレンス役のエディ・イザードがコメディアンの話術を巧みに演技に活かし、悪としてのし上がって行く男を見事に演じています。
吹き替え版があるとして誰が声を当てるのか知りませんが、観るなら字幕ですよ、勿体無いから。
恐らくは、一番難しい役にコメディアンを起用した監督は慧眼だな、と感じました。
1960年版を引き合いに出すまでもなく、歩いてくる食肉植物を真面目に絵として表現するのは、現在の技術でも無理なんじゃないかな、と思うわけです。普通は、笑うとこですよ、どう考えてもね。
それを活かすために、人類の大半は盲目となり、忍び寄る見えない恐怖として存在した場合、数で圧倒されていく点も含めて、人類SOS!になるわけです。
もう一つは、少数の有視者と大多数の盲者の比率、そしてそれを巡る人道主義と独裁主義の理想と現実。
ミシェルは少数の優れた者だけの再建、コーカー少佐は人道主義に基づいた救済組織、トレンスは独裁による支配、と様々な形を見せてくれます。
目が見えていても盲目的にしか生きない国民への皮肉すら感じますね。
原作が書かれたのは冷戦まっただ中の社会情勢ですが、今も大して変わってませんよ、人間は・・・。
さて、後半はトレンス独裁と圧倒的な数で迫るトリフィド、どう転んでも絶望的な状況に人類は人としての尊厳を守りつつ生き残れるのか!
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